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東京家庭裁判所 昭和48年(家)9731号 審判

申立人 川久保正枝(仮名)

相手方 川久保秀則(仮名)

主文

相手方は申立人に対し婚姻費用分担として、昭和四八年一二月から別居期間中、一ヵ月金二〇、〇〇〇円宛、毎月末日限り申立人方に持参または送金して支払え。

理由

申立人は、「相手方は申立人に対し婚姻費用分担として、別居期間中一ヵ月金三〇、〇〇〇円宛を毎月末日限り申立人方に持参または送金して支払え。」との審判を求め、その理由として、つぎのとおり述べた。

申立人は昭和四七年三月一四日相手方と婚姻し、昭和四七年六月二六日長男晃を出産し、昭和四七年一一月一〇日相手方と別居するにいたつた。別居の理由は、相手方が賭け麻雀にこり、一ヵ月金三〇、〇〇〇円程度しか生活費を渡さず生活できないため、やむなく申立人が長男晃を連れて実家に帰り、生活費は会社員である実父から援助を受けている。相手方は、大田区の○○にあるホテル○○附属ボーリング場フロント係で、月収約金六〇、〇〇〇円を得ている。よつて、申立人は相手方に対し、婚姻費用分担(申立人および晃の生活費用)として、一ヵ月金三〇、〇〇〇円を毎月末日限り申立人方に持参または送金して支払うことを求める。

相手方は本件審判期日には出頭しないが、前置された調停期日における陳述によると、本件申立を棄却する旨の審判を求めるにあり、その理由は、つぎのとおりである。申立人は相手方の制止にかかわらず勝手に家出し実家に帰つてしまつたものであり、いつでも帰つて来れば生活費は渡すが、帰つて来なければ支払わない。

当事者双方および晃の戸籍謄本、別件(当庁昭和四七年(家イ)第七四六三号夫婦関係事件)における当庁調査官の調査報告書、右調停期日における相手方の陳述、相手方審問の結果を総合すると、申立人主張の各事実が認められる。右事実によると、申立人が相手方と別居したのは、相手方が申立人に対し必要な生活費を渡さなかつた相手方の扶助義務違反に基づくもので、別居に正当な事由があるものというほかない。したがつて、また、申立人は相手方の同居請求を拒否する正当な事由があり、申立人が相手方と同居しないかぎり生活費を支払わない旨の相手方の主張は、その前提となる同居につき申立人がこれを拒否している現状では、失当というほかない。

一般に、同居の夫婦および子は、同一の家族共同体を形成し、夫婦が合意した生活水準を維持するため、通常、夫は外で働いて収入を得、その中から右合意した生活水準維持に必要な金員を、婚姻費用分担として支出し、妻は家族生活共同体に必要な家事労働、家業の協力などを行い、家政婦女中などの働き手を雇つて支払う支出を免れる方法で、婚姻費用を分担している(この点について、妻は家事労働などによつて婚姻費用を分担する旨定めたフランス民法第二一四条第二項を参照すべきである。)。したがつて、そこでの夫の婚姻費用分担額のうち、妻および子に充てられる分は、労働科学研究所または内閣統計局の消費単位により按分して算出できる。

しかし夫婦が別居した場合、前記の同一の家族共同体は解消され、衣食住などすべての面で同居中とは別個の生活水準が、それぞれの生活主体につき考えられ、その合算額は同居の場合より増額されるのが通常である(共同生活における生活費逓減の法則)。妻は家事労働の大部分の履行を免れる反面、夫の生活主体では代替労働者として女中などを雇用して夫の生活費の増大をもたらし、或いは、夫が自らそれを行うことによつて疲労が増し、労働再生産力を低下させる。他方、妻の生活主体では、家事労働の時間と量が減少し、多くの場合就労可能となり、金員収入を得易くなる。そしの、夫婦は二個の世帯を維持する必要があり、破綻に瀕した別居では、双方の精神的な結びつきが断たれ、夫および妻はそれぞれの世帯につき、それぞれの得られる収入、または就労可能な場合得られるべき収入によつて、その生活を維持することに努めることが自然の形態になる。妻が無職で、病気などの理由で自己の収入を得る可能性がないか、自己の収入(可能額を含む。)では不足を生ずる場合に、夫は妻に対し、双方が合意した別居後の生活水準に対応する額、または、その合意がないか、証明されないときは、夫が社会人として通常の程度の生活を営むことのできる生活費、すなわち通常は標準生計費(各都道府県の統計による。)を参考とした額、を夫に保留し、残額を経済的余力とみて、その余力の範囲内で前記妻の生活に必要な額の全部または一部につき、婚姻費用として分担し支払うべきものと解するのが相当である。

思うに、第一に、妻は、同居の場合の婚姻費用分担の主内容である家事労働を大部分免れており、これに対応して、夫は右家事労働対価相当部分について支出すべき生活費も減額される関係に立つ。そして、夫にとつてみれば、夫に関する家事労働(たとえば炊事、洗濯、買物など代替的労働部分)のために女中、家政婦等を雇わなければならなくなるから、その分は婚姻費用分担額中から差引かれるであろう。第二に、別居した場合の生活水準は、同居中とは異なることである。衣食住のそれぞれについて、二個の世帯になれば、その各々について必要な態度が決められ、もしその合意がないときは、各別に標準生計費等を参考として、通常の生活程度を各世帯につき考慮すべきで、同居中の生活水準による額をそのまま別居後に用いることは不合理である。第三に、別居後の生活については、妻が就職する可能性があれば、妻自身の生活費は妻が働いて得ることを原則とすべきである。同居して生活共同体を営む多くの場合には、妻は家事労働に従事する必要上、金員収入を得る職業に就くことができないが、別居中はそれから解放され、時間的余裕を生じ、現在の社会状態の下では、直ちに定職に就くことにはまだ困難を伴なうとしても、少くともパートタイマーなどの臨時的職業に就くことは比較的容易であるから、まず、妻は健康等の事情の許すかぎり自らも働き、その収入を得て、自己の生活費の全部または一部を賄い、不足額について夫に対し、その負担を請求すべきである。そのようにしなければ、夫婦および子の家族共同体が同一世帯を営むとき辛うじて通常の程度の生活ができる程度の収入があるにすぎない場合、別居後の生活費増大に伴なう支出に堪えられず、同居中と同様に労研方式等により生活費を按分すると、夫および妻の各世帯とも生活保護対象世帯となることがあるという結果をまねき、そのような解釈は少くとも現行の扶養制度の解釈として妥当ではないと考える。以上の点からみて、破綻に瀕する別居の場合には、生活保持義務を認めるべき理論的基礎を欠くものというほかない。もつとも、扶助義務者である夫に保留される限度は、客観的にみて別居後の生活水準として相当とみられる合意した額か、通常社会人としての標準的な生活に要する費用に止まり、同居中と同一程度の生活水準を維持する額でもなければ、夫の社会的地位に相応する額(たとえば、社長としての地位にふさわしい家屋に住み交際費を使うことなど)を基準とすべきではない。

つぎに、子の生活費についてみるのに、子の生活費は、その性質が親に対する扶養請求権(民法第八七七条)の本質を有するけれども、父母間の関係からみると、子の監護費用(民法第七六六条)であり、それは婚姻費用分担の一つの内容となるものと解される。父が別居する子に対して負担すべき生活費の程度も、また、父の標準的な生計費を収入から控除した経済余力の範囲内でその義務を負うというべきである。子の高等教育費その他特に必要な費用も、子に関する婚姻費用分担額に含められるが、そのような特段の事情がないかぎり、子の生活費もまた、別居後の合意した生活水準に対応する額か、その合意がないときは標準的な生活程度を保障できる額、すなわち、通常は標準生計費を参考とした額によるべきである。そのように考察した結果では子が生活を営めない場合には、子の親権者または監護者を母から父に変更することなどによつて解決すべきであろう。

前記認定事実によると、申立人は長男晃(一歳)を連れて相手方と別居して生活しているが、別居に際しその生活費の分担について合意をしておらず、現在実父母と同居しその援助で生活している。しかし、申立人は子を実母に預けて監護を委せて働くことも可能である。他方、相手方は現在月収金六〇、〇〇〇円しかない。そこで前記説示にしたがつて考察すると、申立人および長男晃の生活費は、特に合意した生活水準または生活費の実支出額を証明する証拠もないので、推計によるほかないが、一般社会人としての通常の生活水準を考慮すると、標準生計費が参考資料となる。これによると、申立人と晃の標準生計費は、金五八、八一七円〔労務行政研究会「物価と生計費資料」一七〇頁、二八-三三頁。

{(33,800+(43,100-33,800/23-18))+(75,530-57,720)}×1.1 = 58,817〕

(妻の分+子の分)×昭47.4以後の物価上昇率

である。他方、相手方の経済余力についてみると、相手方一人の標準生計費は金三九、五三〇円(前掲物価と生計費資料一七〇頁、二八-三三頁。

((33,800+(50,900-33,800/26-18))×1.1 = 39,530)

(18歳の場合+申立人26歳の場合の修正額)×物価上昇率

で、概数をとると、金四〇、〇〇〇円となり、これを相手方の月収金六〇、〇〇〇円から差引いた金二〇、〇〇〇円がその経済余力となる。前記説示によれば相手方は、申立人と晃の生活費必要額金五八、八一七円のうち、右金二〇、〇〇〇円の範囲でのみ婚姻費用を分担すれば足り、それ以上の義務を負わないことになる。申立人は、前記説示のように就労の上収入を得られる可能性があるから、右生活費必要額と右相手方の負担部分との差額については、申立人自ら働き収入を得るなどの方法で、その不足分を補うことが必要である。よつて、申立人の本件申立は、申立人が相手方に対し、婚姻費用分担として一ヵ月金二〇、〇〇〇円の支払を求める限度で正当であるから、その限度でこれを認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 高木積夫)

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